米エール大学地下室の壁から大学院生の遺体
米エール大学地下室の壁から大学院生の遺体
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米エール大学地下室の壁から大学院生の遺体
アメリカ・コネティカット州にある名門のエール大学で13日、地下室の壁の中からエール大学の大学院に通っていたアニー・リーさん(24)の遺体が発見され、警察は殺人事件として捜査している。リーさんは8日から行方がわからなくなっていたが、キャンパス内にある研究室に入るところを監視カメラにとらえられており、地元警察が調べたところ、この建物の地下室の壁に埋め込まれたリーさんを遺体で発見した。
遺体が発見された13日は、リーさんの結婚予定日だったという。
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フェルマーの最終定理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない[1]、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らくその証明も反例も知られなかったことからフェルマー予想とも称されたが、360年後にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、フェルマー・ワイルズの定理と呼ばれるに至る。
目次[非表示] |
概略 [編集]
17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1601年 - 1665年)は、古代ギリシャの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(例えばフェルマーの小定理として知られる書き込みを実際に証明したのはライプニッツである)。48か所におよぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後、彼の息子サミュエルによって、フェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである(フェルマーの書き込み入りの『算術』原本は今日では失われている[2])。
第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ[3]」の欄外余白に、フェルマーは
と書き残した。彼の残した他の書き込みは、すべて真か偽かの決着がつけられたが、最後まで残ったこの予想だけは、誰も証明することも反例をあげることもできなかった。そのため「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになり、プロ・アマチュアを問わず、無数の数学者がその証明に挑んだ。n が 3 以上のとき、n 乗数を2つの n 乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる
個別研究の時代 [編集]
証明は、n = 4のときと n が素数のときのみ考えればよい。たとえば、n = 6 のときは (x2)3 + (y2)3 = (z2)3 と書き直すことができるからだ。n が具体的な値をとるいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。n = 4 :フェルマー [編集]
フェルマー自らが1640年に、以下の手法、法則、定理を使い証明した。- 指数の公式に従ってx4+y4=z4を(x2)2+(y2)2=(z2)2に変換し、ピタゴラスの定理を利用する。
- x、y、zは互いに素であるとする。
- 定理「互いに素である2つの数の積が平方数であるならば、2つの数もそれぞれ平方数である。」
- xを偶数、z、yを奇数とする。
- 偶数と奇数の性質
- 無限降下法
n = 3 :オイラー [編集]
オイラーは1753年にゴールドバッハへ宛てた書簡の中で n = 3 の場合の証明法について言及し、 1770年に刊行した著書でそれを明らかにした。ただし、この証明は虚数のレベルまで因数分解を行ったものであったが、 虚数のレベルまで因数分解をすると様々な複素数の積に分解できてしまうという不備があったので、のちに補正された。n = 5 :ソフィ・ジェルマン [編集]
ソフィ・ジェルマンは、フェルマー予想を 「1) x, y, z のいずれかが n で割り切れる」 「2) x, y, z のいずれも n では割り切れない」 という2つのパターンに分類し、100以下のすべての n について、パターン 1) に関してはフェルマー予想が正しいことを証明した。 しかし、フェルマー予想の反例が含まれるかもしれないパターン 2) に関しての研究は難航した。 パターン 2) も含めて n = 5 の場合を完全に証明したのはディリクレとルジャンドルであるが、ジェルマンまでは(そしてジェルマン以降も当面は)「n = 3 のとき」あるいは「n = 4 のとき」といった個別研究の域を出なかったこの問題に対し、指数の範囲が限られているとはいえ包括的な証明を与えようとした点において、ジェルマンの研究成果の意義はきわめて大きい。n = 14 および 7 :ラメ [編集]
1832年にディリクレは n = 14 の場合を証明したが、上述の通り n が素数である場合の方が肝要なので、これは n = 7 の場合を証明するための途中経過であった。しかし実際に n = 7 の場合を証明したのはラメ(1839年)と、ラメの証明に含まれていた誤りを訂正したヴィクトル・ルベーグ(1840年)であった。1847年、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するコーシーとのあいだで論争にまでなった。しかしこの解法とは xn + yn = zn の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される。
また、 n = 7 の場合についてのラメの証明があまりにも複雑なものだったため、同様の手法で n = 11 や 13 の場合について研究してみようと思う者はいなくなり、個別研究の時代は終わる。
クンマーの理想数 [編集]
コーシーとラメが争っていたのと同じころ、エルンスト・クンマーがみずから打ち立てた理想数の理論(後にデデキントがイデアルの理論として発展させる)を導入する。これにより、多くの素数において一意的な因数分解が可能となり、 n が正則素数である(もしくは正則素数で割り切れる)すべての場合については証明がなされた。虚数レベルでの一意的な因数分解が不可能な非正則素数も無限に存在するが、クンマーは 100 以下の非正則素数(37, 59, 67 の 3 個しかない)についてはそれぞれ個別に研究して解決した。その結果、 100 までのすべての素数 n について(当然 100 以下の素数を約数にもつすべての n についても)フェルマー予想が成り立つことが証明され、それまでの個別研究からこの問題は大きく飛躍した。1850年、フランス科学アカデミーは、1816年に設けたまま受賞者の出なかった「フェルマー予想の証明者」のための懸賞金を(最終的解決でないことを承知の上で)クンマーに与えた。
近代的アプローチへ [編集]
モジュラー形式 [編集]
ポアンカレは複素平面上の関数についての研究から、保型形式およびそのアイディアをさらに展開したモジュラー形式を案出する。モーデル予想 [編集]
ファルティングスによるモーデル予想の解決(1983年)により、フェルマー方程式 xn + yn = zn が整数解をもつならば(つまりフェルマー予想が誤りならば)その解の個数は本質的に有限個しかないことが証明される。この「有限個」が「実は 0 個」であることが示されればフェルマー予想は証明できたことになるが、この方向からの絞込みには行き詰まりが指摘されていた。ともあれ、この時点でフェル マー予想が「ほとんど全ての場合について正しい」ことが判明したと言うことはできた。谷山・志村予想 [編集]
1955年9月、日光で開催された整数論に関する国際会議で、谷山豊が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想。そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後に志村五郎によって定式化された。「すべての楕円曲線はモジュラーである」という、発表当時は注目を引かなかったこの谷山・志村予想(今となっては証明されているが)が、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。実はこの前年の1954年、ある保型形式に関するラマヌジャン予想の一部をアイヒラーが証明していた。そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山・志村予想の最初の実例と呼べるものだった。 このラマヌジャン予想→谷山・志村予想→ラングランズ予想→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの1つとなっている。
フライ・セール予想 [編集]
1984年にフライはフェルマーの最終定理に対する反例 an + bn = cn からはモジュラーでない楕円曲線(フライ曲線): y2 = x(x − an)(x + bn)
が得られ、これは谷山・志村予想に対する反例を与えることになるというアイディアを提示。セールによって定式化されたこの予想はフライ・セールのイプシロン予想と呼ばれ、1986年にケン・リベットによって証明された。これらの経過は以下のように整理することができる。
- まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が自然数解をもつ)と仮定する。
- この自然数解からは、モジュラーでない楕円曲線を作ることができる。
- 谷山・志村予想が正しいならば、モジュラーでない楕円曲線は存在しない。
- 矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。
- したがって、フェルマー予想は真である。(背理法)
最終的解決 [編集]
プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想(en:Iwasawa main conjecture) を解決するなどして、もともと数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳当時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロとなってから は子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、ケン・リベットがフライ・セール予想を 解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか 解かずには済まされない中心課題の1つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全 て止めて谷山・志村予想に取り組むこととなった。ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにするこ とで偽装し、谷山・志村予想の研究は秘密裏に遂行することとした。ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム)や数論(モジュラー形式やガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当り岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハの方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚ニック・カッツの助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力でなしとげた(ここまでで7年が経過していた)。彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。
ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には一箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。ワイルズ自身、その時の瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され[4]、360年に渡る歴史に決着を付けた。なお、証明の過程では、まずはコリヴァギン=フラッハ法を用いたが、それでは不十分だと判明したので、以前に採用してから放棄していた岩澤理論を併用することで、最終的な証明が完成した。
フェルマーの最終定理を証明した論文 [編集]
- Andrew Wiles (1995 May). “Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem (モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理)”. Annals of Mathematics 141 (3): 443-551.
- Richard Taylor and Andrew Wiles (1995 May). “Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras (ある種のヘッケ環の理論的性質)”. Annals of Mathematics 141 (3): 553-572.
エピソード [編集]
- 詳細な歴史(st-and.ac.uk)
- 現在も未解決の問題の大多数は、問題自体が難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理は中学生程度の知識さえあれば理解で きる内容であるため、数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志す者も輩出された。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした 者の一人であった。その意味でも、数学界にとっては若い才能を持った者が数学への扉を叩く動機となる貴重な問題であったといえよう。
- フェルマーはこの定理の証明に関して「真に驚くべき証明を見つけた」と記述を残している。しかし、現在知られている証明は、分野ごとの壁が厚く なったことで、分野ごとに半ば独自に進化と発展を遂げた各数学の最新理論を巧妙に組み合わせ、駆使することで構成されている。いかに「数論の父」と呼ばれ るフェルマーであっても、400年前に独自にこの証明を成し遂げたとは考え難いため、フェルマーが n = 4 の場合に用いた無限降下法による証明がすべての自然数に対して適用可能であるとの勘違いによるものとも考えられる。なお、無限降下法による証明はn = 3 および 4 のときにしか用いることができない。
- 最終的証明はスキームの圏などの現代的な代数幾何の構成をもちいている。これはノイマン・ベルナイス・ゲーデル流の集合論(NBG集合論)という、通常の集合に加えて類 (class) を考え、ただし集合に対する言明の真偽(証明可能性)はZFC集合論と同じになる(ZFCの保存的拡大という)ようにした枠組みで定義される。NBG集合論は本質的にはZFC集合論と同じもので、ZFC集合論に到達不能基数の存在公理を付け加えてグロタンディーク宇宙の構成を可能にしたもので置き換えられると考えられている。このことから最終定理の証明のために本当はどれだけの公理が必要なのかについては疑問が呈されてもいて、ZFCよりは弱い体系でも十分なのではないかと言われている。
- 最終的な証明で重要な役割を果たした谷山・志村予想に関して、ワイルズとテイラーが証明したのは半安定とよばれる特殊な場合であった。フェルマー の最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。後に谷山・志村予想は完全に証明され、今では数論の1つの到達点とさ れてモジュラー性定理とよばれることもある。
- 1988年に当時西ドイツのマックス・プランク数学研究所にいた、宮岡洋一が証明できそうだというニュースが報道された。ただし実際には不備があり、完全な証明には至らなかった。
- 1908年、ドイツの富豪ヴォルフスケールは2007年9月13日ま での期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万マルクの懸賞金を設けた(Wolfskehl Prize)。当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、第一次大戦後の大インフレがなければ十数億円であったといわれ る。授賞式は1997年6月、ゲッティンゲン大学の大ホールにて、500人の数学者が列席する中執り行われた。
脚注 [編集]
- ^ これに対して n = 2 のとき、上の式を満たす整数の組は無数に存在し、ピタゴラス数と呼ばれる。
- ^ フェルマーの読んでいた『算術』は、1621年にギリシャ語からラテン語に翻訳された版である
- ^ ここで、平方数とは有理数の平方を意味する。他の冪も同様。よって、『算術』の元の問題を現代風に表現すれば、有理数 a に対し、x2 + y2 = a2 の正の有理数解を(ひとつ)求めよ、ということである。
- ^ 1995年2月の毎日新聞縮小版より
関連項目 [編集]
参考文献 [編集]
- 足立恒雄 『フェルマーの大定理 整数論の源流』 日本評論社〈数セミ・ブックス12〉、1984年8月。
- 足立恒雄 『フェルマーの大定理 整数論の源流』 日本評論社、1994年6月、第2版。ISBN 4-535-78207-5。
- 足立恒雄 『フェルマーの大定理 整数論の源流』 日本評論社、1996年5月、第3版。ISBN 4-535-78231-8。
- 足立恒雄 『フェルマーの大定理 整数論の源流』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫 ア24‐1 Math & Science〉、2006年9月。ISBN 4-480-09012-6。
- 足立恒雄 『フェルマーを読む』 日本評論社、1986年6月。ISBN 4-535-78153-2。
- 足立恒雄 『フェルマーの大定理が解けた! オイラーからワイルズの証明まで』 講談社〈ブルーバックスB1074〉、1995年6月。ISBN 4-06-257074-2。
- アミール・D・アクゼル 『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで』 吉永良正訳、早川書房、1999年5月。ISBN 4-15-208224-0。
- アミール・D・アクゼル 『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで』 吉永良正訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NF <数理を愉しむ>シリーズ〉、2003年9月。ISBN 4-15-050282-X。
- アルフ・ファン・デル・プールテン 『フェルマーの最終定理についてのノート その注釈と随想』 山口周訳、森北出版、2000年2月。ISBN 4-627-06101-3。
- 加藤和也 『解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡』 日本評論社、1995年10月。ISBN 4-535-78223-7。
- 久我勝利 『図解雑学 数論とフェルマーの最終定理』 關口力・百瀬文之監修、ナツメ社、2005年9月。ISBN 4-8163-3995-7。
- サイモン・シン 『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 青木薫訳、新潮社、2000年1月。ISBN 4-10-539301-4。
- サイモン・シン 『フェルマーの最終定理』 青木薫訳、新潮社〈新潮文庫〉、2006年6月。ISBN 4-10-215971-1。
- 富永裕久 『フェルマーの最終定理に挑戦 天才ガウスも断念』 ナツメ社、1996年2月。ISBN 4-8163-1933-6。
- 富永裕久 『図解雑学 フェルマーの最終定理』 ナツメ社、1999年10月。ISBN 4-8163-2697-9。
- 中村亨 『フェルマーの最終定理 萌えて愉しむ数学最大の難問』 三嶋くるみ漫画、木戸実験シナリオ、PHP研究所、2009年12月。ISBN 978-4-569-77520-3。
- Paulo Ribenboim 『フェルマーの最終定理13講』 吾郷博顕訳、共立出版、1983年7月。ISBN 4-320-01087-6。
- Paulo Ribenboim 『フェルマーの最終定理13講』 吾郷博顕訳、共立出版、1989年2月、第2版。ISBN 4-320-01415-4。
- 山口周 『フェルマーの最終定理 証明への道具立てと発見的推理』 東宛社、1997年4月。ISBN 4-924694-32-0。
- 結城浩 『数学ガール フェルマーの最終定理』 ソフトバンククリエイティブ、2008年8月。ISBN 978-4-7973-4526-1。
さらに進んだ書物 [編集]
- 加藤和也 『フェルマーの最終定理・佐藤-テイト予想解決への道』第1巻、岩波書店〈類体論と非可換類体論〉、2009年1月。ISBN 978-4-00-006617-4。
外部リンク [編集]
- Weisstein, Eric W., "Fermat's Last Theorem" - MathWorld.(英語)






































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