2011年1月11日火曜日

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アメリカ合衆国憲法(1787 年)
解説
憲法制定会議開催の布告をするジョージ・ワシントン
1787 年5 月、13 州のうち ロードアイランド州を除く諸 州の代議員55 人がペンシルバ ニア州フィラデルフィア市に 集まり、連合規約を改正し、 より中央化された合衆国政府 を設立するための会議が開催 された。会議では、2 つの対 立する計画が提案された。ひ とつはエドムンド・ランドル フによるバージニア案、もう ひとつはウィリアム・パター ソンのニュージャージー案で あった。バージニア案は、行 政・立法・司法という3 つの構成要素が権力を共有する、より強力な中央政府の設立を提案した。ニュー ジャージー案は、現行の連合規約を改正・修正することによって議会に税金および通商を管理する権限を 与えるが、各州に引き続き地方レベルでの基本的な自治権を与えるものであった。
討論を重ねるうちに、連合規約を修正するだけでは不足であり、新しい形態の政府の樹立が必要である ことが明らかになった。最も論議を呼んだのは、中央政府がどの程度の権力を持つのか、連邦議会におい て各州がどのように代表されるのか、そしてこれらの代表をどのように選出するのか、といった問題で あった。1787 年9 月17 日に署名された最終的な文書は、バージニア案とニュージャージー案を折衷した もので、3 つの部門から成る中央政府を設立し、各州は州の大きさにかかわらず同数の代表を連邦議会上院 に送る、というものであった。しかし各州の連邦議会下院議員数は州の人口に基づいて決められることに なった。
合衆国憲法は「国の最高法」であり、米国の政治制度の基本的な法的枠組みとなっている。合衆国憲法 は、他のいかなる国家の憲法より長期にわたって存続しており、1787 年以降わずか27 回しか修正されて いない。バージニア州の代議員で、実質的に憲法の起草に最も深くかかわり、後に第4 代米国大統領と なったジェームズ・マディソンは、「憲法の父」と呼ばれている。


権利章典(1791 年)
合衆国政府の形態と構造を概説した新憲法が成功裏に作成された後、個人の自由を守る必要性に関する 公の議論が始まった。多くの人々は、新憲法の下では、具体的に中央政府に与えられていない権限はすべ て国民に与えられるため、個人の権利を保障する必要はない、と考えた。一方、英国による専制政治がまだ記憶に新しいため、すべての国民に保障される個人の権利を明記することを要求する人々もいた。
論争が長引く中で、当時駐仏大使であったトマス・ジェファソンは、本国のジェームズ・マディソンに 宛てた書簡で、次のように述べた。「権利章典は、全般的にも個別にも地球上のあらゆる政府に対して国民 の有する権利であり、正当な政府ならば、それを拒否したり、あるいは推論に任せたりすべきではない」 この意見は直ちに支持され、ようやく妥協案が採用された。いくつかの州は、憲法を正式に批准するに当 たって、個人の権利を保障する修正条項を要求した。一方、合衆国連邦議会の第1 回会議でそうした修正 条項が提案されるとの理解の下に憲法を批准した州もあった。
1789 年9 月25 日、第1 回連邦議会は、個人の自由に関する12 の憲法修正条項を提出した。そのうち2 つはすぐには批准されなかったが、残る10 の修正条項は、1791 年12 月15 日、各州議会の4 分の3 の賛 成を得て批准された。この最初の10 の修正条項は、Bill of Rights(権利章典)と呼ばれるようになった。

アメリカ合衆国憲法の翻訳にあたって
アメリカ合衆国憲法は、前述の通り、1787 年9 月に制定され1788 年6 月に成立したいわゆる統治機構 を定めた本文部分と、1789 年9 月の第1 回連邦議会で発議され1791 年12 月に成立した最初の10 個条の 権利章典(人権保障規定)とその後に追加されて現在27 個条に及ぶいわゆる修正条項から成っている。本 文部分は7 つのArticle から成り、各Article はさらにSection に分かれ、各Section の中は(名称は付され ていないが)Clause と呼ばれる段落に分かれている。これらの原語については従来さまざまな訳が与えら れて来たが、この翻訳では日本国憲法の体裁にならい、Article を「章」、Section を「条」、Clause を「項」 と訳した。
修正条項の各個条は、原文では単にArticle というタイトルが付されるのみで、Article からArticle をのぞいて番号は付されていないが、これらはAmendment 、あるいは1st Amendment のように成立 順に番号を付して呼ばれるのが通例である。このAmendment××についてもさまざまな訳があるが、この 翻訳では従来のわが国での慣用に従い「修正第××条」とし、その中のSection は日本の法文の例にならっ て「項」とし、さらに段落に分かれているときは「号」とした。
憲法のある規定が後に修正条項で改廃された場合でも、わが国の法令のように削除されずに憲法典上に 残っている。この翻訳ではその部分を【】に入れて示した。
訳文中[ ]の部分は説明のために挿入した原文にはない語句である。但し、「修正第××条」のタイ トルは原文にはないが、慣用に従い[ ]に入れずに記載した。
いくつかの語句については*をつけて条文のすぐ後で注釈を加えた。
1776 年の独立革命から合衆国憲法が制定されるまでの間、合衆国はArticles of Confederation(連合規 約)にもとづいて統治された。わが国では講学上この時代のstate を「邦」と訳して、合衆国憲法制定後の 「州」と区別するのが通例である。しかし、この翻訳では「州」に統一して訳した。
(翻訳・文責:高橋一修法政大学法学部教授)


[在日米国大使館のサイトへ掲載した日付:3/13.////2019]
 
 

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